私たちが「痛み」と呼ぶものは、単なる神経の興奮や身体の異常ではありません。とくにアスリートにとっての痛みは、損傷が治癒した後もなお続く、見えない「記憶」として脳内に残り続けることがあります。現代の神経科学では痛みが「経験に基づく学習結果」であること、そしてそれが運動感覚と密接に結びついていることが明らかになっています。アスリートの慢性的な痛みの正体とは何なのか。それは身体だけではなく、脳の中に刻まれた“運動の意味づけ”なのです。
人間は視覚に頼らずとも自らの身体の動きを感じ取る能力をもっています。これを「運動感覚(kinaesthesia)」といい、関節の位置、筋の緊張、腱の伸張などの体性感覚から得られる情報をもとに、脳は「どのような動きが、どのくらい起きたか」を内的に再構成します。たとえば目を閉じて歩いたり、腕を後ろに回しても正確にその位置を把握できるのは、こうした感覚システムが働いているからです。
しかし、この運動感覚のメカニズムは身体に障害が起こったときに変化を受けます。たとえば、筋肉や関節、神経の病理によって痛みの信号が発せられると、その動きに対して「痛み」という強い感情的な意味づけがなされます。これは単なる一過性の経験ではなく、脳に運動と痛みがセットで記憶される、いわば「痛み付きの動作記憶」として保存されるのです。これを運動の痛覚表象と呼びます。
脳はこの表象を、あたかも「その動きをすればまた痛みが来る」と信じ込むように強化していきます。たとえ患部の炎症が消え、画像所見に異常が見られなくなっても、「動かす=痛い」という認知的回路が脳内で定着してしまえば、痛みは実在のものとして感じられ続けるのです。このとき、痛みはすでに「身体の問題」ではなく、「脳の問題」へと移行しています。
こうした脳の過学習は運動イメージと結びついてさらに複雑化します。運動イメージとは、身体を実際に動かさなくても、頭の中でその運動を再現する脳内シミュレーションのことです。たとえばスポーツ選手が頭の中でフォームを確認したり、試合の状況をイメージトレーニングするのはこの能力を活用しているからです。運動イメージ中には、一次運動野や運動前野といった実際の運動時と同じ脳領域が活性化することがわかっており、これがリハビリやスキル学習に有効であることも実証されています。
ところが、痛みが強く学習されていると運動イメージをするだけでも痛みがよみがえることがあります。実際に動いていないにもかかわらず、「動きを思い浮かべただけで痛い」と訴える患者が存在するのです。これは運動表象の中に痛みの記憶が組み込まれており、脳が「運動=痛み」という回路を仮想的に再生している状態です。こうなると、痛みの制御には身体的な治療だけでは不十分であり、神経学的・心理学的な介入が求められます。
アスリートにおいてはこの痛みと運動表象の結びつきが競技復帰に大きな障害となります。たとえば、かつて肩を壊したピッチャーが投球フォームを再構築しようとしても、痛みの記憶が先行してしまえば、身体がその動作を拒否するように反応します。これは「恐怖回避行動(fear-avoidance)」と呼ばれ、痛みの再発を恐れるあまり、必要な動作を避けてしまう現象です。結果として本来のフォームが崩れたり、別の部位に代償的な負担がかかり、新たな故障を引き起こすこともあります。
では、この「脳がつくる痛み」にどう対処すべきなのでしょうか。その一つの答えが「グレーデッド・モーター・イメージング(GMI)」という手法にあります。これは痛みを感じずに運動表象を段階的に再構築するリハビリテーションアプローチであり、視覚的イメージ、運動イメージ、実際の運動という順に段階を踏んで脳のネットワークを書き換えていきます。たとえば、痛みのない側の身体を鏡で見せることで左右の運動感覚を統合させ、そこから徐々に患部の運動イメージへとつなげていきます。
この方法は痛みによって避けられていた運動の再習得を安全に行うだけでなく、脳内に形成されてしまった「痛みの運動記憶」を上書きする試みでもあります。アスリートが競技復帰に向けて重要なのは、損傷部位の治癒だけでなく、脳内の運動マップの再構築にほかなりません。脳が痛みを学習するように、脳は「痛みのない動作」もまた学習し直すことができるのです。
痛みとは単なる身体の声ではなく、脳がつくり出す“物語”でもあります。とくにアスリートのように繰り返し極限まで身体を使う人々にとって、その物語が「回復」と「再発」の境界を決めるカギとなります。したがって、私たちは痛みを単なる症状としてではなく、脳と運動の対話の結果として理解し、そこに介入することが求められているのです。