スポーツや運動において、「本番で実力を発揮できる人」と「練習通りに動けない人」の違いは何か。この問いは古くから多くの研究者や指導者の関心を集めてきました。筋力や柔軟性といった身体的な要素や、練習量や技術力の違いでは説明しきれない“何か”がある。その見えにくい要素こそが「セルフバリアブルズ(self-variables)」と呼ばれる心理的・内的変数であり、現代のスポーツ心理学ではこの概念が極めて重要視されています。
セルフバリアブルズとは運動パフォーマンスや行動選択に影響を与える「個人の内面に存在する可変的な心理的要素」のことを指します。これには自己効力感、動機づけ、自己調整、注意の焦点といった要素が含まれ、選手自身の内的な状態が行動にどのように影響するかを説明するための枠組みです。これらの変数はトレーニングによって変化しうるものであり、決して生まれつき固定された特性ではありません。
まず代表的なセルフバリアブルズとして挙げられるのが「自己効力感」です。これは心理学者アルバート・バンデューラによって提唱された概念で、「自分はこの課題をうまくやり遂げることができる」という信念を指します。例えば、「この高さの跳び箱を飛べる」と信じて臨むか、「無理かもしれない」と感じて挑戦するかでは、動作開始前からパフォーマンスに差が出てしまいます。自己効力感が高いほど、困難な課題に粘り強く取り組むことができ、挑戦意欲や回復力が高まるとされています。この心理的信念は、脳の報酬系に関与する線条体や内側前頭前皮質の活動と関連があることがfMRI研究などで示されており、単なる「気持ちの問題」ではなく、神経科学的にも実証された現象です。
次に挙げられるのが、自己調整能力です。運動中にはミスへの焦り、他者からの視線、結果へのプレッシャーなど、様々なストレスがかかります。そのような状況下でも安定してパフォーマンスを発揮するためには、自分の感情や思考、身体反応を自らコントロールする力が必要です。これが自己調整であり、スポーツメンタルトレーニングの中核を成す要素でもあります。例えば、緊張しすぎたときに意図的に呼吸を整える、ネガティブな考えを言葉で打ち消す、集中を切らさないよう儀式的なルーティンを行うといった方法は、いずれも自己調整の一環です。この能力は前頭前野の実行機能と関連が深く、発達の程度によって個人差があるものの、繰り返しの訓練によって改善可能です。
また、運動に取り組む際の動機づけの質もセルフバリアブルズとして非常に重要です。動機づけは外的な要因によるもの(報酬、称賛、罰など)と、内的な要因によるもの(興味、達成感、自主性など)に大別されます。心理学者デシとライアンが提唱した自己決定理論によれば、より内発的な動機づけが高い人ほど、行動の継続性や質が高まり、心理的満足感も得やすくなるとされています。例えば、「勝たなければ怒られるから」ではなく、「もっと上手くなりたいから頑張る」という気持ちで取り組んでいる人の方が、困難な状況でも自発的に努力を続けられるのです。神経科学の視点から見ても、内発的動機によって自然に分泌されるドーパミンは学習効率や運動の反復性を高めることが知られており、単なる精神論ではなく、科学的な根拠を持ったアプローチであることが分かります。
さらに、注意の焦点もパフォーマンスに大きく影響します。人は運動中にどこに意識を向けているかによって、動作の質が大きく変わります。心理学ではこれを「アテンショナル・フォーカス(attentional focus)」と呼び、外的焦点(道具や対象に意識を向ける)と内的焦点(自分の身体や動作に意識を向ける)に分類されます。Wulfらの研究によると、一般的に外的焦点の方が運動の自動化を促進し、より高いパフォーマンスを引き出すことが示されています。これは、内的焦点が過剰になると運動が意識的に制御されすぎてしまい、滑らかで効率的な動作が妨げられるためです。たとえば、ゴルフスイングの際に「腕の角度」ばかりに意識を向けるよりも、「目標方向にクラブを投げるように」といった外的指示を受けた方が、動作は自然かつ効果的になるのです。
このようにセルフバリアブルズは身体的能力とは異なる領域でありながら、運動の成果に深く関わっています。筋力や技術が同程度であっても、本番で勝つ選手と負ける選手がいるのは、こうした心理的要素が背後で大きく作用しているからにほかなりません。そして何より重要なのは、これらの要素が「鍛えることができる」という点にあります。自己効力感も、自己調整力も、内発的動機も、意識的なトレーニングや経験の積み重ねによって育つものです。
現代のスポーツにおいては、フィジカルとメンタルの統合が常識となりつつあります。トップアスリートの多くがメンタルコーチをつけるのは、セルフバリアブルズの重要性を理解しているからです。そしてこの視点は、アスリートに限らず、一般の健康づくりやリハビリテーション、さらには教育現場においても大いに応用可能です。運動を成功に導くのは、ただの「努力」や「根性」ではなく、科学に裏打ちされた「自己の内的調整力」なのです。