「うまい人のプレーを見ているだけで、自分もできる気がしてくる」。
スポーツをしている人なら、そんな不思議な感覚を味わったことがあるのではないでしょうか。実はその感覚、ただの気のせいではなく、脳科学的に証明された“本物の学習現象”なのです。
人は自分の体を動かさなくても、見たり想像したりするだけで運動の準備を進めることができます。たとえば、目を閉じて「バットを構えて、ボールが来たら振る」というシーンを思い描くとき、実際には何も動いていないのに、脳の中では運動前野や頭頂葉、さらには一次運動野までもが活性化されていることがfMRIなどの脳機能画像研究から明らかになっています。これは運動イメージと呼ばれる現象で、Jeannerod(1994)やDecety(1996)らの研究によって、「脳は想像された行動を、本物の行動とかなり近いものとして処理している」ことがわかってきました。
面白いのは、「自分が動いているイメージ」でないと脳はうまく反応してくれないという点です。単に「誰かがやっている場面の写真を見ている自分」を想像しても視覚中枢は働きますが、運動野はあまり活性化されません。つまり、「まるで自分がその場にいて、実際に動いている」ことをイメージすることが、運動の準備として脳を効果的に刺激する鍵なのです。
そしてここからが本題です。運動イメージに加えて、実は「他人がやっているのを見るだけ」でも、私たちの脳は運動の準備を始めます。これを支えているのが「ミラーニューロン」と呼ばれる特殊な神経細胞です。
1990年代、イタリアの研究者リゾラッティらは、マカクザルの脳内でとても興味深い現象を発見しました。サルがピーナッツを手で取るときに活性化する運動ニューロンが、なんと別のサルがピーナッツを取るのを“見ているだけ”のときにも、そっくり同じように活動したのです。この神経細胞こそが「ミラーニューロン」と名づけられました。この現象が意味するのは、「他人の動きを見ることは、脳内では“自分が動いていること”と限りなく近い体験である」ということです。つまり、観察とは単なる受動的な情報収集ではなく、脳が積極的に“模擬運動”をしている状態だというわけです。
この仕組みは「直接対応付け仮説」と呼ばれます。観察者の脳内では、見た動作に対してそれに対応する自分の運動回路が自動的に作動し、「それをどうやってやるか」「どんな意図でやっているか」「何が起こりうるか」といった知識が、視覚情報と結びついて再構成されます。この仮説に立脚すれば、「良いプレーを観察すること」が、実際のトレーニングと同じように意味を持つことがわかってきます。たとえばプロゴルファーのスイングをスローモーションで見ること、卓球の達人が放つカットの軌道を観察すること、あるいはリズムに乗って動くバレエダンサーの動きを繰り返し視ること――これらはすべて、見るだけであなたの脳の運動回路に“経験”を刻み込んでいるのです。
特に効果的なのは、「自分にもできそうだ」と思える動作の観察です。心理学ではこれを「運動の再現可能性」と呼び、再現可能性が高いほどミラーニューロンの反応も強くなると報告されています(Buccino.2004)。そのため、指導者が難易度の高すぎる模範動作ばかり見せるよりも、段階的に成功しやすい動きを示すことの方が学習効果が高まるのです。
このようにして私たちは「見る」ことを通して、「動く」ための準備を整えているわけですが、この現象はスポーツだけでなく、リハビリテーションの場でも大きな意味を持ちます。たとえば、脳卒中後に半身麻痺となった患者に対して、自分の手足が正常に動いている動画を見せたり、健常者の動作を観察させたりするリハビリが注目されています。実際、観察学習を取り入れたリハビリは、神経可塑性を高め、運動機能の回復を促進する効果があるとされています。
我々が古くから使ってきた「他人のふり見て我がふり直せ」ということわざは、単なる人生訓ではなく、脳の働きに裏打ちされた“学習戦略”だったといえるでしょう。スポーツの技術向上、演技力の向上、さらには日常動作の見直しにおいても、観察という行為は私たち自身のパフォーマンスを変える力を持っています。次にあなたが誰かの見事なフォームを見たとき、「あれ、ちょっと自分もうまくなったかも」と感じたなら、その感覚を信じていいのです。脳は、すでにあなたの中で練習を始めているのですから。