椎間板は脊柱の機能を支える重要な構造であり、その中心には水分を多く含むゲル状の髄核が存在します。この髄核は周囲を取り囲む強固な線維輪によって保持され、日常のあらゆる動作において荷重分散や衝撃吸収の役割を担っています。しかし、姿勢の変化や力のかかり方によって髄核の位置は移動し、線維輪にかかる力学的負荷も変化することが知られています。この髄核の移動と力の分布の変動こそが、椎間板障害、特に椎間板ヘルニアの発症メカニズムを理解するうえで極めて重要な要素となります。
ロビン・マッケンジーが提唱した理論の中核にあるのが、髄核は姿勢に応じて可逆的に移動するという概念です。具体的には脊柱を屈曲させると髄核は後方へ、伸展させると前方へと移動するというものです。この考え方は後方の線維輪にヘルニアが生じやすい臨床的観察と一致しており、現在でも多くの腰痛治療において基盤的理論として活用されています(McKenzie, 1981)。その根拠となる研究として、Adamsら(1985)は、屈曲姿勢では椎間板の後方部分に圧縮力が集中し、逆に前方部分では圧が低下することを実験的に明らかにしました。これは髄核が圧力の高い部分から低い部分へ移動することで、物理的に説明することができます。
髄核は単なる液体ではなく、粘性と弾性を併せ持つ「粘弾性物質」であるため、その移動は瞬時に起こるわけではありません。姿勢を変えたとしても、髄核が新たな圧力勾配に応じて移動するにはある程度の時間が必要とされます。この時間的遅延は「時間依存的粘弾性」と呼ばれ、椎間板の生体力学的応答における本質的な特徴です。つまり瞬間的な動作では髄核の位置は大きく変化せず、姿勢を持続することで徐々に移動し、それに応じて線維輪への応力分布も変化するということです。
長時間の屈曲姿勢、たとえば前かがみの作業や座位を続けることで、髄核は次第に後方へと移動し、線維輪の後方に対する内圧が高まります。この状態で持ち上げ動作などの負荷が加わると、すでにストレスが蓄積されている線維輪後方がさらに圧迫され、微細損傷を生じやすくなります。Solomonow(2003)はこのような屈曲位での持続的な荷重が、線維輪や靭帯の静止長に影響を与え関節の剛性を低下させる可能性があると報告しています。この剛性の低下は脊柱の安定性を損ない、さらなる損傷やヘルニアの発症リスクを増加させる要因となります。
また椎間板内圧の変化に関する研究では、Wilke(1999)が行った生体内測定において立位や歩行では椎間板内圧が適度に保たれている一方で、座位や屈曲位では後方への圧が増大しやすいことが明らかにされています。特に屈曲+回旋の複合動作では、後方線維輪に非常に高い剪断力が加わることも示されており、このような力学的な負荷環境下では、髄核が線維輪の後方を突破して脱出する「椎間板ヘルニア」の発生が起こり得るのです。
髄核の移動による圧の偏在は、線維輪の構造的特性にも関連しています。線維輪は円周方向にラミナ構造を成しており、前方よりも後方の線維輪は構造的に弱く、厚みも薄い傾向にあります。このため後方に移動した髄核による内圧が集中した場合、後方の線維輪は前方よりも損傷を受けやすく、結果としてヘルニアが後方、特に後外側方向に突出しやすいのです。
これらの知見を踏まえると、脊柱における安全な動作戦略とは、髄核の移動とそれによって生じる応力の偏りを理解し、それに応じた予防的動作を選択することにあるといえます。たとえば長時間の座位や屈曲姿勢のあとに物を持ち上げるような動作を行う前には、数分間の脊柱伸展運動を取り入れることで、髄核の前方移動を促進し、線維輪後方への応力を減少させる可能性があると考えられます。実際マッケンジー法ではこのような伸展エクササイズが疼痛軽減に寄与することが臨床的にも報告されています。
髄核の位置変化とそれに伴う線維輪への力学的負荷の変動は、椎間板の健康状態と大きく関係しており、この力の偏在が長期的には構造的損傷を引き起こしうることが科学的に裏付けられています。したがって椎間板ヘルニアを予防するうえでも、脊柱への力のかかり方だけでなく、その時間的履歴や髄核の粘弾性といった内部の力学的挙動を理解することが重要となります。