私たちの脳はコンピューターのCPUと比較されることがありますが、その情報処理の仕組みは本質的に異なります。特にアスリートの脳は、一般の人に比べて高度に最適化されており、単なるスピードや正確性では測れない「状況判断力」や「直感的反応力」に優れている点で、CPUとはまったく異なる特徴を持っています。
まずCPUとは、中央演算装置(Central Processing Unit)のことでコンピューターの中心的な処理装置です。CPUは与えられた指令を順番通りに一つひとつ実行していきます。その処理は「0」か「1」で構成されたデジタル情報に基づいて行われ、非常に速く、正確で、曖昧さがなく、再現性が高いという特性を持ちます。しかし、この直列処理型の仕組みは予測困難な環境下での即時対応には向いていません。対して人間の脳、特にアスリートの脳は外部からの多様で時には不完全な情報を同時並行的に処理し、動的な環境で柔軟に対応する能力に長けています。
神経科学の研究によれば、アスリートの脳は運動技能の獲得とともに脳の構造的・機能的な変化を示します。たとえばBezzolaら(2012)は、ゴルフ初心者が12週間のトレーニングを受けることで運動野や小脳の灰白質の密度が変化したことを報告しています。これは運動技能の習得に伴い、脳が物理的に適応することを示しており、単なる反応速度だけでなく感覚運動統合の質そのものが向上していることを示唆しています。
またアスリートは「ワーキングメモリ」や「注意資源」を効率的に使う能力に優れているとされます。Vestberg(2012)の研究では、エリートサッカー選手の実行機能が高いことが成績と有意に関連することが示されました。実行機能とは状況を把握し、瞬時に意思決定し、行動に移す力のことであり、これはCPUが手順に従って順番に処理するのとは異なり柔軟で流動的な処理形式です。
さらにアスリートの脳は、視覚情報や体性感覚情報を高精度かつ高速で統合し、即座に反応を生み出す能力が発達しています。これは「センサリーマップ」と呼ばれる脳内の感覚地図が洗練されているためです。たとえば、投球動作やスイングの瞬間に生じる筋肉や関節からの情報が無意識のうちに脳内で統合され、修正された運動出力がわずか数百ミリ秒以内に再出力されるというプロセスは、もはや人間の意識を介さない「自動化」の産物です。このような処理は、CPUのように手順的に行われるのではなく、神経回路ネットワーク全体が協調して一斉に働く「並列処理」型の仕組みによるものです。
またアスリート脳は、誤差の許容や未確定な情報の扱いにも長けています。これは「予測符号化(predictive coding)」の理論で説明されることがあり、脳はつねに外界の情報を予測しながらそれと現実のズレを修正することで学習と適応を行っています。この仕組みによって、アスリートは次の展開を瞬時に読み、まるで先読みしたかのような動きを取ることが可能となります。これはあらかじめプログラムされた手順をたどるCPUの動作とは根本的に異なります。
さらに脳はアナログ的な処理も行います。コンピューターが明確なデジタル信号のみを処理対象とするのに対し、脳はノイズを含んだ不完全な情報でも「それらしく」解釈し、動作に反映させる能力を持っています。実際、脳神経の発火は一様ではなく確率的に揺らぎを伴いますが、それがかえって創造性や適応力を生む土壌となっています。アスリートの「ひらめき」や「予測不能なプレー」も、このような揺らぎを活かした脳の動作によって生み出されていると考えられます。
このようにアスリートの脳は、CPUと比較して処理速度や演算の正確性では劣るかもしれませんが、膨大で複雑な情報を一瞬で統合し、不確定な状況下でも的確に意思決定し、身体を動かす能力においては、はるかに優れているといえるでしょう。コンピューターが論理に強いように、脳は「直感」に強い。アスリートの脳はまさにその極地にある人間の知的処理システムの粋ともいえるのではないでしょうか。