私たち人間にとってアルコールは、ストレスを緩和したり社交の場を円滑にしたりする楽しみの一つですが、一方で身体機能や健康さらにはスポーツパフォーマンスに対しては多くのマイナスの影響をもたらすことが知られています。特に競技力の向上を目指すアスリートにとっては、アルコール摂取の影響は慎重に考慮すべき課題となります。
アルコールが筋肉に与える悪影響の一つに「アルコール筋症」があります。これはアルコールの摂取によって筋タンパク合成が抑制され、結果として筋力低下や筋肉痛を引き起こす現象です。こうした現象は遅筋線維よりも速筋線維で顕著に見られることが複数の研究で示されています。速筋線維は瞬発的な動作や高強度のトレーニングに必要不可欠な筋線維であるため、パワー系競技を行うアスリートにとっては大きなリスクとなります。
このような筋合成の抑制がなぜ起こるのかについて、いくつかの生理学的なメカニズムが明らかになってきています。特に筋タンパク合成に関与するインスリン様成長因子(IGF-1)の血中濃度がアルコール摂取によって減少することが大きな要因の一つと考えられています(Lang.2003)。またmTOR経路やp70S6Kなど筋肥大を促す細胞内シグナル伝達系も、アルコールによってその活性が低下することが動物実験などで確認されています(Steiner, 2015)。これらの結果として、筋タンパクの合成速度が通常よりも30〜40%低下するという報告もあり、摂取後2〜3時間でこの影響が始まり24時間以上続くことが示されています。
さらに注目すべきは、アルコール摂取が筋肉機能の回復にも影響を及ぼすという点です。ある研究では運動後にアルコールを摂取したグループと摂取しなかったグループで、48時間後に筋力テストを実施したところ、アルコール摂取群において明らかな筋力低下が観察されました(Barnes.2010)。このようにアルコールはトレーニングや試合後のリカバリーにも悪影響を与える可能性があるため、単に摂取量だけでなく摂取するタイミングについても注意が必要です。
ただしアルコールの影響は摂取量に依存する側面もあります。過度の飲酒は明らかにパフォーマンス低下を招く一方で、少量の飲酒では影響が出ないとする研究結果も存在します。たとえばビールに換算して500ml程度の量であれば、筋力や筋肉の回復に有意な影響は見られなかったという報告もあります。従ってどうしても飲酒が必要な場面では、適量を守りトレーニングや競技への影響を最小限に抑える工夫が求められます。
加えてアルコールは脱水を引き起こす利尿作用を持ち、睡眠の質を下げることも知られています。とくにREM睡眠が減少し、成長ホルモンの分泌が抑制されることで身体の修復機能が十分に働かなくなる可能性があります。このようにアルコールは筋合成の妨げとなるだけでなく、身体全体の回復システムに干渉することにも注意が必要です。
アルコールはアスリートのパフォーマンスや筋力の維持・向上、さらには回復に対して複数のマイナス要因を持ち合わせており、摂取の是非については慎重な判断が求められます。もちろん飲酒が完全に悪いわけではなく、適切なタイミングと量を守ることで日常生活とのバランスを保つことは可能です。しかしながらパフォーマンスを真剣に追求するアスリートにとっては、飲酒習慣の見直しや試合期・トレーニング期の禁酒も重要な戦略の一つとなるでしょう。