私たち人間の動作は本来非常に多様性に富んでいます。これは進化的な観点から見ても、環境に柔軟に適応し、生存するために必要不可欠な能力であったからです。近年の運動科学や神経生理学においても、この「動作の多様性(movement variability)」は、単なるエラーやブレではなく、適応力や機能性を高めるために重要なファクターとして再評価されています。
動作の多様性とは同じタスクに対して異なる身体の使い方で対応できる能力、あるいは同じ動作を毎回少しずつ異なる運動パターンで遂行できる能力のことを指します。たとえば片足立ちやランジといったシンプルな動作であっても、方向、速度、姿勢、負荷条件が変わればそれに応じて動作も変化します。これに柔軟に対応できる身体と神経系を持つことが、競技スポーツにおいても日常生活においても極めて重要なのです。
この動作の多様性の意義について多くの研究がなされています。Stergiou(2006)は、動作の変動性(variability)は単なるノイズではなく、システムの健全性と適応性を示すものであると述べています。運動における適切な変動性は、怪我の予防や運動効率の向上に貢献するとされています。例えばサッカー選手がランジの姿勢から素早く横方向に切り返す場面では、股関節や体幹の多関節連鎖が瞬時に適応し、安定した動作を実現します。これは多様な動作経験と神経系の可塑性によって可能となるのです。
股関節は球関節であり、多方向に動く能力があります。屈曲、伸展、外転、内転、外旋、内旋といった基本動作だけでなく、これらが複合された斜め方向の動きにも対応するための訓練が求められます。特にスポーツにおいては直線的な垂直運動だけでなく、横方向や回旋を含む複雑な動作が連続して発生します。そのため「正しいフォーム」だけを繰り返し習得する従来のエクササイズでは、実際の競技環境に適応する能力は十分に育まれません。
この点に関してLatash(2012)は「motor abundance(運動の豊かさ)」という概念を提唱し、同じ運動成果を得るために身体が持つ多くの動作パターンの存在は、制御の冗長性ではなく、適応的柔軟性であると述べています。つまり一つの理想的な動きだけに身体を閉じ込めるのではなく、多様な状況に応じた動作の自由度を確保することが、真の意味での「良い動き」につながるということです。
このような多様性の不足はオーバーユース障害にも関連します。例えば、股関節インピンジメント(FAI)や大腿骨骨頭の変形などは、限られた動作パターンを過度に繰り返すことで局所的なストレスが蓄積し、結果的に構造的な障害につながることが知られています(Agricola. 2013)。そのためリハビリテーションやパフォーマンストレーニングにおいては、単に筋力や柔軟性を回復させるだけでなく多様な動作パターンを取り戻すことが再発予防やパフォーマンス向上に直結するのです。
また不安定な環境でのトレーニング、例えばバランスボールやBOSUボールの上でのエクササイズが多様性を高めると誤解されがちですが、これは一概には正しくありません。なぜなら不安定な条件では身体が無意識に安定を優先するため、過度な筋緊張が生じ、むしろ運動の自由度を制限してしまう可能性があるからです。むしろ安全で安定した条件下で、方向、速度、可動域、支持面の変化などを工夫しながら、多様な動作課題を経験させることが、神経系の柔軟な再構築を促します。
このように動作の多様性を重視することは、競技力の向上のみならず、傷害予防、リハビリテーションの質の向上においても極めて重要です。従来の「正しい動き」や「フォームの習得」から一歩進み、状況に応じて変化できる「適応的な動作」を獲得するためのトレーニングや評価が、今後の身体づくりの中心になるべきだといえます。