アスリートにとって「動くこと」はそのまま競技力に直結します。そして、その動きのすべてを実現しているのが筋肉です。イギリスの神経生理学者であるシェリントンも、「ものを動かすこと、これがヒトのできる運動の全てである」と述べているように、人間の運動の根本には、筋肉を使って身体を動かすという単純ながら極めて奥深い営みがあります。
しかし実際には単純に筋肉を動かせばよいという話ではありません。私たちの身体には約700個の筋肉があり、それらは一つ一つが別々の役割を担っています。しかもアスリートが活動する競技環境というのは常に変化し、予測不可能な状況が次々と訪れます。その中で瞬時に適切な筋肉を選び、適切なタイミングで適切な強さで動かすということは、極めて高度な調整機能がなければ成り立ちません。
また、「頭を切り落とされた鶏のように走り回る」という表現がありますが、これは脳がなくてもある種の運動パターンが実行されることを示唆しています。実際、脊髄には多くの神経回路網が存在しており、脳の命令なしでも歩行のような基本的な動作がある程度成立することが分かっています。ある実験では脳と切り離された犬や猫の脊髄においても、後肢に律動的な運動が観察されました。このように脊髄は単なる情報の通過点ではなく、自律的な運動制御の中枢でもあるのです。
現在では脊髄にはあらかじめプログラムされた運動パターン、つまり「運動プログラム」が存在すると考えられており、それが脳からの大まかな指令によって呼び起こされ、必要に応じて修正されながら実行されています。この機能のおかげで、私たちは滑らかで無駄のない動きを可能にしているのです。
アスリートにとってはこの運動プログラムの精度や応答性が競技力を大きく左右します。例えば、サッカー選手が予想外の方向に跳ねたボールを即座に追いかけたり、野球選手が0.1秒以下の反応時間でスイングのタイミングを修正したりするのも、脳と脊髄が連携して高度な運動制御を行っているからこそです。
運動制御は大きく分けて二つの仕組みから成り立っています。一つは脊髄による筋の収縮命令と複数の筋肉を調和させて動かす制御。そしてもう一つは、脳による脊髄内運動プログラムの指令とその調整です。この二つが協調しながら、私たちの「随意運動」、つまり自分の意思で行う動きが成立します。さらにその動きがより正確で洗練されたものになるには、脳からの指令を補佐する上位運動ニューロンの働きも重要です。これにより脊髄の自律的な動きだけでは対応しきれないような微細で複雑な動作まで実現可能になります。
つまり、アスリートにとっての運動とは単なる筋トレやフィジカルの強化ではなく、脳と脊髄を含む神経系全体の洗練された連携の上に成り立っているものなのです。だからこそ技術練習や体力向上に加え、動作の質やタイミング、感覚を磨くトレーニングが非常に重要になります。競技力の差は、筋力や体格だけではなく、この神経系の最適化の度合いによっても大きく変わるのです。